1988年2名の若手エンジニアによって設立

コスモリサーチは、1988年、大手企業をスピンアウトとした2名の若手エンジニアによって設立されました。当時はまだバブルの最中。次の年、1989年には年号が平成に変わり、バブル崩壊の足音が聴こえてくる頃でした。実は、マイクロソフト、アップルなども私達より少しだけ先輩。ゲイツやジョブズは、創業者とほぼ同世代です。あいつらができるなら俺らだってできるぞ..ってな勢いでした。 創業メンバー2人は、当時大手関連会社の設計主任と部下。通信機器の開発を手掛けていて、ハード設計から、当時出始めたマイコンソフトまでこなすエンジニアした。まず、売上の確保のために知人の紹介でASIC(特定用途向けLSI)の開発事業をはじめました。サラリーマン時代のキャリアとは少々違いましたが、当時日本が、半導体で世界を席巻する少し前で、まさに上り調子。仕事はいくらでもありました。

黎明期のASIC,FPGAで市場を席巻

また、当初1億円以上した、CADツール(これがないとLSIの設計ができない)が、PCやEWS上で動くようになり一式数百万円で、ほとんどフリーランスだった私達にも手が届くようになりました。また、世界初のFPGAのが1986年にリリースされたりと、設計手法が劇的に変わる時代でした。ちなみに、私たちは、1988年創業の年からFPGAに注目、まさに黎明期から開発を手掛けています。 手で図面を書いてモノを作り、できた製品で試行錯誤するのがあたりまえだった時代に、PC上で回路図を書き、テストパターンを作ってシミュレーションをする。できたものは、当たり前に一発で動作するという手法にわくわくしたものでした。

研究試作で大手を蹴散らす

ところが日本の大手企業は、なかなか従来の設計手法から脱却できず、ASICやFPGAの設計技術は特殊なスキルとみなされていました。そんな技術を生かして、通信総合研究所(当時、現在NICT)やJAXAなど、従来、大手企業が受注するのがあたりまえだった、国の研究機関の研究試作を請け負うようになります。当時の大手とのコンペはまさに刺激的でわくわくの連続でした。自らの技術で大手の牙城を切り崩すDNAは今の若手エンジニアにも脈々と受け継がれています。

エンジニアを粗末にする会社に未来はない

1995年頃を堺に、日本半導体の凋落ははじまります。日本のエレクトロニクス産業の発展に危機感をもった米国が、さまざまな攻撃をしかけてきたのですが、当時業界にいた私の感覚では、日本国内でのパイの奪い合い、日本企業の慢心、親方日の丸体質、技術者軽視などが原因だと思っています。日本国内に十数社の半導体メーカが乱立し、値段や納期のたたきあい、設計者はほとんど外注かフリーランス、まさに奴隷のような扱いをうけました。ちょっと売上が傾くと、エンジニアを切っていった日本企業には気がつけば何ものこっていませんでした。切られたエンジニアたちは、韓国や台湾、中国企業に雇われ、使い捨てられていきました。 いくつかの企業を国(産業再生機構など)がまとめて生き残りを図りましたが、まさに親方日の丸、船頭不在で、つぎつぎ沈没していったのはもはや近代史の中の出来事ですね。 私たちは、すでに研究試作を多く受注するようになっていたので、LSI開発ビジネスから脱却し、LSI,FPGAの開発技術をベースに受注を伸ばすことができました。

2番じゃだめなんです

2000年代は、研究開発予算も豊富で、私達も大きなプロジェクトにかかわることができました。しかし、2009年、当時の民主党政権が誕生すると時代は暗転します。「2番じゃだめなんですか?!」ってあれ。まあ、たしかに無駄な箱物が多くあったことも事実ですが、研究開発予算削減の嵐が吹きあれました。切るところと、残すところ、目利きがまったくできていなかった。当時、世界一の座から陥落した日本のスーパーコンピュータが再び世界一に返り咲くために、10年の月日を要したことはご存知のとおりです。 LSI設計ビジネスも、研究試作受託のビジネスも、経営的には決定的な問題があります。それは、工賃ビジネスであるということ。例えば、この仕事をこなすのに5人月かかる、一人月100万円(社員が顧客のために1ヶ月働くと100万円=給料+経費、いただきますというビジネス。弁護士や、コンサルタントなども同じらしい)だから500万円ねという見積もりをします。見積もり時点で、きっちりかかる時間が見通せれば良いのですが、研究試作にはトラブルはつきもの。増えることはあっても減ることはありません。加えて、顧客の能力によることも多く、しっかり仕様を切り出せないような顧客にあたると、手戻りの繰り返しでそれは悲惨です。

やっぱりものづくりが楽しい

現在でも、ITやSES企業の多くはこの傾向が強く、社員はいつデスマーチ(死の行進=炎上プロジェクト=もともと予算、仕様、日程などに無理があるプロジェクト)に投入されるか分からないのが現実です。こう見ると業界は、LSI設計ビジネスのころと大してかわっていないですね。エンジニアをコマにしてはいけないです。 このような問題点は重々承知していましたので、やはり自前で開発したものを売っていかねばならないと強く考えるようになっていきました。そして、故安倍晋三氏が政権をとり、株価はすこしずつ戻り始め、採用も2010年代から売り手市場と言われるようになって行きます。当社でも先行開発を重視するようになり、かつ採用のレベルも重視するようになってきています。

コスモリサーチのビジネスは、人がすべて

工賃仕事であれば、とりあえず、人数を揃えることが重視されますが、(いまでも、ITやSESではこれ)自前でリスクをとって開発するには、エンジニアの能力がすべてです。妥協せず、優秀な人材を採用することにより、会社の売上や利益率がかわってくるのです。 そんな、コスモリサーチのエンジンになってくれる方、ぜひ、チャレンジしてください。待ってます。

募集要項を見る

TOP
TOP